Interview : 岡田嵐士(リバーサルジム新宿Me,We) PART1
今回のインタビューは、修斗フライ級のホープの一人、岡田嵐士選手にお願いしました。mobstylesファイターであり、かつては押競満寿でもアルバイトをされていて、ちょっとだけお話さていただいたことがありました。ファイターにありがちな勢いで話すタイプではなく、訥々と静かに話す中に、嵐士選手らしさが垣間見えます。まずは、2025年9月2日に終わったばかりのLemino修斗での一戦を振り返ってもらい、そこから、キャリアを振り返っていただきます。(収録:2025年9月5日)
Lemino修斗 古賀戦について
――― 9月2日のLemino修斗での試合が3日前に終わったばかりですし、直近の古賀優兵戦の感想を聞かせてもらっても良いですか?
悔しい。…悔しいというのが率直な感想ですね。
――― おっと、勝って、なお悔しいと。それはどういう点でですか?
自分の中のハードルとして、フィニッシュしないといけないと思っていたし、圧倒しないといけないと思っていたけど、それができなかったというのが、悔やまれますね。そこが、自分の中の課題でしたし、このオファーで求められていることだと思っていたので、それをクリアできなくて、もうちょっとできたかな、というのが自分の中の反省ですね。
――― 古賀選手のことは調べました?おそらく、検索すると長南さんのnoteが出てきて、読まれたのではないかと思うのですが。
あれは読みました。でも、別に、長南さんが書かれているほど、古賀選手の実力を低く見積もっていなくて、全然、油断とかそういうのはなかったです。
長南さんのnote: https://note.com/tribechonan/n/n2a0b2a006578
――― 実は、いやいや、古賀選手も強いし、曲者で侮れないなと思っていました。
(noteに出てくる福岡大会での試合は)永留選手に計量オーバーとかあってコンディションが微妙だったかもしれないけど、永留選手に勝ってて…永留選手って凄く強くて、なんなら、ランキングに挑戦できるくらいのレベルの選手だと思っていて、古賀選手はその彼に完封して勝ってるんですよね。それに、Break Through combatでは、RTU準優勝のチェ・スングクにパンチでダウンも奪ってます。
だから、楽な相手ではないなと思っていたので、あのnoteを読んだからって、気を抜いたり、油断したりということはなかったです。
――― なるほど。そんな古賀選手に、局面局面で上回って攻め勝ったんですから、今回の試合は、十分に強さは発揮できたな、と思うんですけど、やっぱり自分の中では納得がいかないと。
長南さんにも、言われて。「あんなのに苦労してたらダメだよ」って冗談っぽく(笑)。でも、一発でぶっ倒すより、こういう勝ち方の方が次に繋がるから良いんだよ、って声をかけていただきました。
――― 今回のLemino修斗自体の印象はいかがでした?
演出の印象は多少違うな、と思いましたけど、凄く大きく変わって、戸惑う感じはなかったですね。後楽園ホールだし、流れもいつも通りで、知っている方も多いし。
――― 確かに、いつもの後楽園ホール大会プラスアルファで、これからLemino修斗の色も出てくるんでしょうね。
あえて言うと、活躍すればボーナスも出してくれて、選手はありがたかったし、やる気も出たんじゃないかと思いますね。だから、1試合目からやる気を出してアグレッシブに行ったっていうところはありますね。
幼少期からはじめたテコンドー
――― では、話を戻して、岡田選手の基本的なところから順番に伺います。まず、ご出身は?
出身地は、神奈川県の茅ヶ崎です。小中高と地元の学校に通って、大学は日体大ですね。
――― 日体大ということは、修斗だと、ルミナさん直系の後輩ですね。豊島さんとか鍋久保さんとか。
そうなんです。格闘技界は日体大出身の選手は多いですよね。やっぱりレスリング、柔道が強いんで。
――― 大学はテコンドーの実績での推薦で?
そうですね。テコンドーで。部活はないんですけど、推薦で。町の道場でずっとやってて、その実績で。
――― 体育系だと部活以外というのは、レアケースですね。そもそもテコンドーを始めたきっかけかはなんだったんですか?やっぱり、近かったから?
そうなんですよね。本当に家の裏に、水泳教室、体操教室とかやっている施設、よくあるフィットネスクラブみたいなところがあって、そこで、間借りみたいな形でやってて。幼稚園の頃に体操と水泳をちょろっとやってて、でも、やっぱり、武道の礼儀とか学んだほうがいいから、やったら?って親から言われて始めた感じですね。そこからずっと大学までテコンドーで。
――― テコンドーの実績はどれくらいでしたか?
中学、高校と世界大会に出て、高3の時にU-18世界選手権で準優勝が最高の成績でしたね。でも、初めの方はなかなか勝てなくて。
――― 確か、テコンドー時代は、スソン選手とも一緒だったんですよね。
そうですね。スソン選手は先輩でした。MMAを始めてからも一緒に練習をやったことがあります。
コロナ禍で、テコンドーからMMAに転向
――― MMAの方はどういう形で始めたんですか?
大学2年生の初めまでテコンドーで、そこからMMAを始めました。
日体大に通っていたって言っても、実は、その頃、1年間くらい新型コロナ禍で学校に行くこともなくて。当然、試合もなくて、練習もできなくて、もうモチベーションが上がらなくて。
――― 確かに、コロナ禍では大学生活はきつかったでしょうね。
元々、高校の途中で、RIZINを見て、なんかMMAもやってみたいなっていう気持ちはあって。
当時、HALEOの方にお世話になっていて、その方にMMAに興味があるんですよって話をしたら、絶対やった方がいいよ、向いてるよって勧めていただいて。当時HALEOのプロのアスリートの方々が参加するトレーニングに招待してもらいました。そこで、プロの世界のお話を聞いて、それで興味を持って、やっぱりMMAをやろう、って。
――― MMAを始めるにあたっては、どういう感じでスタートしたんですか?
MMAをやると言いつつ、実は、最初は柔術のジムに行ってたんですよ。打撃はやったことがあるから、とりあえず寝技をやってみないといけないな、と思って。1ヶ月くらい柔術を練習してたんですけど、やっぱりMMAやりたいなと思って(笑)。それで、MMAのジムを探して、いくつか体験に行って、その中にMe,Weもあった、というところです。
リバーサルジム新宿 Me,Weに
――― その中でも、Me,Weにしたのは?
実家が引っ越したので、利用しやすい新宿を中心に探して、Me,Weだけでなく、HEARTSなんかにも体験に行きました。あとは、JTTというか当時のトライフォース赤坂にも体験に行ったんですけど、今も当然凄いんですけど、当時の朝倉兄弟人気の盛り上がり方がすごすぎて。会員数もめちゃくちゃ多いから、これは、入会してもちゃんと指導で見てもらえないかもな、という心配もあったんですよね。
――― やっぱり、そんなにジムの会員が増えるくらい人気だったんですね。
それとの対比のような形で、Me,Weに体験で行って、山崎さんと初めて会ったときに、「あ、こんなに見てもらえるんだ!」というのがあって。こんなに個人個人、一人の選手に対してここまで熱量をもって指導してくれる人っていうのはそんなにいないな、と感じて。Me,Weを選んだ理由は、それが大きいですね。
――― 最初からプロ志望で入会されたんですか?
Me,Weでは体験の申込書に、プロ志望とか書くところがあるんですけど、僕はけっこう臆病なんで、何にも書かなかったんですよ。やりたいとは思って、入会したんですけど、プロ志望とか言っちゃうと怖いなと思って(笑)。
で、何も言わずに、普通の一般のキックボクシングのクラスに参加したんですよ。そうしたら、山崎さんから、ちょっとプロ練に来てって声を掛けてくれ。
ジムのことは調べていて知ってはいたんですが、行ってみたら、倉本さんとか、佐々木憂流迦さんとか強いプロがみんないて、すごいな!って。こんなところまで来ちゃったなと。
――― 山崎さんが目をかけて、引き上げてくれたという感じなんですね。山崎さんって、面倒見がめちゃくちゃ良さそうですものね。
面倒見がいいなんてもんじゃなくて、ヤバいですよ(笑)。
――― 実は、毎週、どこかの会場で必ず見かけるから驚いていたんですよね。先週、藤田大和選手のセコンドで海外にいたと思ったら、もう次の週末には後楽園ホールにいる、みたいな。いつ休んでいるんだろうって思っています。
だって、普通の一般会員さんが、一人で遠くの柔術大会に出るっていうときも、一人しか出なくても山崎さんは一緒に行きますからね。プロでなくても、山崎さんが行くんですよ。とんでもない人ですよ。
――― 山崎さんの面倒見の良さは、シヴァエフ選手もインタビューで、お話しされてましたね。やっぱりすごいんでね。
そうです。でも、業界的にはともかく、格闘技ファンの間では、Me,Weはまだまだ認識されていないのかなっていう感じですよね。TRIBE TOKYO MMAとか、TBJみたいにはね。もちろん、目立つのが目的ではないけど、でも、みんな本当に強いですし、これから知られることになるんじゃないですかね。
――― 山崎さんの指導もあり、岡田選手には最適なジムが、Me,Weだったというわけですね。
みんな強くてレベルが高くて。凄く良いところに入ったと思っています。
ジムって、自分に合っているか、ということだと思うんですよね。雰囲気とか、指導方法とか、スタイルとか、僕には合っていても、もちろん合わない人もいると思うんですよ。技術だけでなく、フィーリングが合うか合わないか、っていうのが大事で、そこが合わないとやっていけないですからね。
自分としては、めちゃくちゃ合っていると思っています。
――― プロ練は毎日あるんですか?
いえ、平日は毎日昼にあるんですが、MMAのプロ練は、月曜日と水曜日の夜だけです。それも、山崎さんのポリシーがあって、働きながらでも選手ができるようになってほしいから、MMAは夜しかやらないっていう形ですね。
――― それは、兼業プロにはありがたいですね。
他のジムでは、昼にプロ練をやって、夜は一般クラスというスケジュールのところが多いと思うんですよね。その方が会員さんを集めやすいからだと思うんですけど、Me,Weは、あえて、そこを一部潰してでも、プロ選手に割り当てるというのが、山崎さんの方針で、おかげで、昼間は働いている選手も参加できて、たくさんの強い選手が集まれるという環境ですね。
――― Me,Weは2号店も開店したくらいですから、そのうえで、一般会員さんも多いんでしょうね。
そうですね。一般会員さんも多くて、応援もしていただいてて。2号店は、もっとライトな運動をしたい方なんか向けになっています。
アマチュアパンクラス・アマチュア修斗からトライアウトへ
――― アマのキャリアのことを振り返っていただいていいですか?
もともと、2022年にアマチュアパンクラスで全日本をとって、その年の12月にパンクラスのオープニングに出て、山口怜臣選手とやってるんです。で、そのままパンクラスでプロデビューしようと思っていて。
――― MMAキャリア最初はパンクラスだったわけですね。
パンクラスでプロになるつもりで、翌年6月に、アマパンのSクラストーナメントがあって、これに勝って最後にしよう!って思ったんですよ。…で、負けちゃったんですよね(笑)。
――― これで気持ちよくアマチュアは卒業だ、と区切りをつけようとしたら、負けちゃった、と(笑)。
負け方も、押し込まれて、バックを取ったけど、また返されて、押し込まれてってう感じで、判定で負けてしまって。ああ、もうこれじゃあ全然ダメじゃんって。
――― アマ最後の試合にするには反省が大きすぎる試合だったんですね。
負けてすぐに試合したかったんです。アマチュアでもう一回、最後の区切りをつけたかったんですけど、アマパンは6月からしばらく試合がなくて、間隔が空いてしまう。そんなときに、なんとなく「アマ修斗があるな…アマ修斗の全日本を取ってプロになれば良いんじゃない?」って思って。
――― なんとなく!ちょうど良いところにアマ修斗があったと(笑)。
大会というか団体にこだわりはなかったんで、それで行こう!って思ったんですけど、全日本に出るためには、予選がもう関東選手権しか残ってなくて。急に山崎さんに「すみません、全日本アマ修斗を目指す道で行きたいんで、申し訳ないんですけど、修斗のオフィシャルジムの登録をしていただけませんか?」ってお願いして(笑)。
――― それで、Me,Weがオフィシャル登録されて、無事に関東選手権に出場して、優勝ですね。その大会では、準優勝が本川温瑛選手、3位に鈴木梓文選手、赤羽幾也選手。錚々たるメンバーです。
シモンスズキ選手に勝って、決勝の本川選手も強かったですね。今は、パンクラスに出ていて、次はネオブラッドトーナメントの決勝です。
――― そして、計画通り、全日本選手権へと進むわけですね。結果は…。
関東選手権優勝!…で、全日本が初戦敗退です(笑)。
――― アマ修斗あるあるで、本当によくあるパターンですね(笑)。
赤羽選手に負けちゃいましたね。結局、そのあと、膝に水が溜まっちゃって、それがヤバくて。結局、年内は治療に専念することにして、しっかり休みました。
――― そこからプロ修斗へはどういう流れで?
年明けに、そろそろ試合がしたいなって思っているときに、山崎さんからも、そろそろプロで行くぞって言っていただいて。ただ、全日本アマ修斗を逃していたから、プロデビューのきっかけがないなって思っていたんですよね。そんなときに、修斗Liveという新しい大会をやるから、どうだって声をかけていただいて。
――― そこで、修斗Liveでのトライアウトマッチが決まったんですね。
はい。本当はフライ級を希望していたんですけど、ちょうどいい相手がいなくて。で、色々経緯はありましたが、中村悠磨選手とバンタム級でどうでしょうという話になって。まぁ、バンタムでも、試合がないよりいいやと思って受けました。
――― とはいえ、中村選手は背が高くてめちゃくちゃデカいですよね。
デカかったです。で、血まみれになるっていう(笑)。
――― フィニッシュはどんな感じでしたか?
最後は、壁際でテイクダウンして、相手が亀になったところを引きはがしてバックチョークですね。
――― そのトライアウト勝利で、晴れて、修斗でのプロ昇格が決まったわけですね。
そのまま5月にデビュー戦が決まって。そこからは割りとタイトでしたね。3月にトライアウト、5月、7月と連戦で。
文字数の関係で、唐突に切り上げてしまいましたが、以上、まずはPART1として、Lemino修斗の試合のふり返りから、キャリアを遡って順番にお話しいただきました。「なんとなく」という、アマ時代の巡り合わせで修斗に来てくれて良かった。
PART2では、プロキャリアを振り返っていただくとともに、岡田嵐士選手の格闘技に対する考え方など内面の深層に触れていきます。わりと話が難しくなります(笑)。
<岡田嵐士選手>





















